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不倶戴天の讎

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 19:00:00  点击:  切换到繁體中文

 

 ―――父の讎は与に共に天を戴かず、兄弟の讎は兵に反らず、交遊の
讎は国を同じくせず。
 
(父の仇と共に同じ天を戴くことは出来ない、従って同じ世に生かして
 はおけず、必ず殺すべきである。兄弟の仇は、家に帰ってから武器を
 取って来るなどの暇は無い、いつも武器を携えていて、直ちに殺すべ
 きである。友人の仇は国を同じくして住むことは出来ない、やはり殺
 すべきである。)
 
 以上は「礼記」の「曲礼」上の言葉であるが、一読して解る通り、敵
討ちの礼を説いている。一口に礼儀作法と言っても、一々挙げれば際限
がないほどあるわけだが、敵討ちの礼まで説くとは御丁寧である。もっ
とも「曲礼」とは、委曲の礼、つまりくだくだしい礼を言うのだから、
その中に敵討ちの礼があるのは当然なのかも知れない。
 
 
 ところでこの敵討ちの礼であるが、仇は皆殺さなければならない。と
ても父・兄弟・朋友の仇は許すことが出来ないと見える。それにしても
同じ「曲礼」上にある、
 
 ―――凡そ人の子たる礼、冬は温かにして夏は清しくし、昏に定めて
晨に省みる。醜夷に在りて争わず。
 
(人の子たるもの、冬は父母の身を暖かにし、夏は涼しくする。また、
 夜は父母が安眠できるようにし、朝に安否を見舞うようにする。友人
 と争うと累が父母に波及するかも知れないから、争わないようにする
 のである。)
 
 と言うような、おっとりとしたのとは違って、随分物騒な話である。
しかし、よく考えてみると、この二つの礼に共通した考えがある。それ
は儒教の方で説いているのだが、人と人との永久不変の関係、君臣・父
子・夫婦・兄弟・朋友の五つの関係を絶対視している考えである。
 
 ―――男女、行媒あるに非ざれば、名を相知らず、幣を受くるに非ざ
れば、交らず、親しまず。
 
(男女は、媒酌がない限り、異性の名前などは覚えてはいけない。また
 結納がはっきりしないうちは、付き合ってもいけないし、馴染んでも
 いけない。)
 
 かくの如く男女関係も厳然としている、今日の若い男女から見れば、
お伽噺の世界のこと位にしか思えないだろう。しかし、古代の氏族制社
会の支配階級の間では、かかることが本当に信じられていたのだ。そこ
では例の五つの人間関係、朋友を除いては全て縦の従属関係を、是非と
も維持しなければならなかった。そこに礼が生まれ、敵討ちの礼まで生
まれてくる理由があった。
 
 
 礼は秩序を維持するための規則であるが、今日の法律に当るものと、
道徳に当るものに二大別出来よう。古代社会に於いてはその二つが、ま
だ未分化の状態にあった。ともに礼として意識されていたと思われる。
だが、「『礼記』」の礼は後者の道徳の方に当り、当時の風俗習慣を述
べたものと言える。敵討ちもその一つであったわけである。
 
 
 「不倶戴天の讎」は冒頭に引用した文から出て、とても許しておけな
い奴という意に用いられる。
 
 


 

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