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涙を揮って馬謖を斬る

作者:未知  来源:日本ネット   更新:2004-11-16 18:56:00  点击:  切换到繁體中文

 

 蜀の建興五年三月、諸葛孔明は魏を討つべく三軍をひきいて成都(四
川省成都)をたち、北進して漢中(陝西省南鄭)へ出、各地に魏軍を破っ
てその年の冬、長安(陝西省長安)を攻めるべく軍を祁山(甘粛省西和県
の西北)に進めて渭水の西に陣をしき、魏の大都督曹真の軍二十万を破
って渭水から後退せしめた。このとき魏は、司馬仲達を用い、あらたに
二十万の大軍を以て孔明の侵攻を防がしめた。
 
 仲達は祁山の野に、蜀軍に対して扇形の陣をしいた。これを破る孔明
の作戦はすでに成っていた。だが、相手が曹真に代って仲達であるだけ
に、孔明にとってはただ一カ所不安なところがあった。それは蜀軍の糧
秣の輸送路にあたる街亭(漢中の東)であった。もしそこを魏軍におさえ
られたならば、前線の蜀軍は動くことができない。その街亭を、誰に、
いかに守らせるべきかに孔明は苦慮した。
 
 そのとき、自らその任にあたりたいと願い出たのが馬謖であった。馬
謖は、孔明と「刎頸の交」のあった馬良の幼弟で、才気煥発、孔明がひ
そかにその大成を愉しんで弟のように愛している部下であった。だが、
仲達と対抗させるには、彼はまだ若い。孔明はあやぶんだが、馬謖は熱
心に懇願した。
 
 「多年兵法を学んで街亭一つを守り得ないようではどうしましょう。
  万一敗れるようなことがあれば、
  私はおろか一門眷属ことごとく軍罰に処せられても、
  決してうらみません。」
 
 「よし、陣中に戯言なしだぞ。」
 
 馬謖はうなずいて孔明の命を受けた。孔明は特に王平をえらんで副将
とし、街亭へ急がせた。街亭の山は三方が絶壁になっていた。孔明の命
令は、山麓の道を死守して魏軍をよせつけるなということであったが、
馬謖は地形を見て、敵を引きつけて逆討ちするには絶好の地であると考
え、王平の諫めをふり切って山上に陣取った。その結果は、魏軍に山麓
を包囲されて水を絶たれ、窮した馬謖が全軍をもって山を駆け下りたと
ころを山麓に囲み討たれて、戦いは蜀軍の惨敗に終った。街亭を魏軍に
占められて孔明は馬謖を用いたことを悔いたが、今となってはどうする
すべもなく、全軍を一時漢中へ退かせるよりほかなかった。
 
 建興六年五月、ようやく漢中に全軍を撤退せしめた孔明は、敗戦の責
めを問うて馬謖に斬罪を申しわたした。おりふし成都から来ていた使者
蒋エンは、馬謖のような有能の士をうしなうことは国家の損失であると
説いたが、しかし孔明はきかなかった。
 
 「馬謖は惜しむべき男である。
  だが、そのような私情は、
  彼のおかした罪よりもさらに大きな罪である。
  馬謖をうしなうことは国家の損失であるかも知れぬ。
  だが、彼を斬らないことはさらに大きな損失を招くことである。
  惜しむべき者であらばこそ、
  なお断じて斬って大義を正さねばならない。」
 
 孔明は刑吏をうながして馬謖を斬らせた。馬謖が刑場へ引かれてゆく
と、孔明は顔を袖でおおい、床に伏して泣いた。
 
 「馬謖よ、ゆるしてくれ。
  ほんとうの罪は自分にあるのだ。
  自分の不明にあるのだ。
  が、自分はこの首をはねることもできない。
  なぜなら、生きて蜀のために、
  お前の死を活かすことをはからねばならないからだ。」
 
 馬謖の首は陣中にさらされた。全軍の将士は一人として孔明の心情を
知って涙しない者はなかったという。   (「三国志」蜀志・諸葛亮伝)
 


 

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